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暇なので仕方ないと思うんだ。
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ん、僕自身がそういう風に聞かれたのでね。
考えてみると不思議だ。井伊直弼を殺したのは水戸藩士だが、伊藤博文を殺したのは安重根なのだからな。

「テロリストの名前を教育すべきでないし必要がない」という考え方自体は、まあ言われてみれば至極もっとも...
いやまあ現実的な問題はさておきね。リクツとしては成り立っている。

浅沼稲次郎も犬養毅も暗殺されたのだが、これも多くの人間は名を記憶に留めてはあるまい。暗殺じゃないが、山本義隆なんか誰も知らないに等しい。
単独犯も複数犯も忘れられている、ということは、自然な成り行きを考えるならば安重根は既に「忘れられて」いて然るべきなのだ。

(ちなみに山本某でググると見知ったゼミの名前が出ます。絶望的に低次元な学生対談があり、興味深い)


僕が言いたいのは、これがどういう問題か――教科書の作成は政治か科学か――などというツマラナイことではなく。
今の今までこの僕が、こんなあからさまな問題に気がつきもしなかったということ、その意味を問いたいのである。

お前がヴァーカなんだよw
と言われればそれまでなんだけどね。うんごもっとも。


でも...
怖くなりません?

自分はいったい、どんなに多くの簡単なことを見逃して、転んだことにも気付かず地面に這いつくばっているのだろうと。
僕はいざとなれば全部ヒトのせいにするから気楽なもんだけれど、その術の無い人があるとき不意に、自分のとめどない受動性に気付くとしたら、観察するのがとっても楽しそう。

リクツとしては、やっぱり分かってはいるんだけどね。
分かっていることをどう「理解」するのか、それはまあ僕の自由ですから。


書いてて思い出したのは仏歴史学者たちが3年前に出した「恥ずべき法」への非難声明。
確かノラも参加していましたね、彼の業績は邦訳があるから是非ちゃんと読みたい、と思っていたら夏休みが終わっていた。何故だ!
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