暇なので仕方ないと思うんだ。
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良い子の諸君!
「やればできる」
いい言葉だな!
我々に避妊の大切さを教えてくれている!
彼女が妊娠して産むとかぬかしてるんですが(;^ω^)
http://gasoku.livedoor.biz/archives/51339162.html
思うのだが、今日の世界で「生の意義を問い直す」なんて題目掲げるやつはバカに違いない。
本当にそんなことを考えているやつはいないし、もし本人が周囲の意見だと本気で思っているなら、ますます手の付けられないバカである。
人間一人が生きていくのは人間集団のためであるのは明白なんだからね。
それを考えないで「人生って何だろう」とか、いい年こいたオッサンが何言ってんだ。
僕は、生まれてきたときにはもう存在していたあらゆるものに絡め取られて生きている。
そこに意義もクソもない、連綿と何故か続いているものの中に含まれる以外に僕の定義はありえない。
そういう非現実的な考え方がまず1つ。
生きる意味、なんてものは確定している。
今生きているから、生きている。
それ以外に生の意味も意義もありえないだろうよ。
僕は人から押し付けられる年限を終えた。だとしても、その恨みを忘れてよいものか。
君たちはすぐさま時間というものを使って自分を細切れにしてしまう。「今」という言葉は漠然と今日を指し、それでいて都合よく事象を事故に結びつけたり切り離したりする...
今や君たちは自分自身で考え判断し、信じている。
そんな風に思えるのは、徹底的に奴隷であったことを過去に置き去りにしているからだ。
君たちは奴隷村の民なのか?
僕は、他人が僕というものを形作ったことも、無意味な基盤を据えつけたことも忘れない。
そう、今という言葉を、僕は人生そのものだと考えたいのだ。僕の生きている時間こそ今。その前後のことなど、僕は知らない。
僕には僕に無上の価値がある。
僕こそ僕その人であり、今こそ今その時であり、生きていることこそ生きていることの意義であるから。
要するにオレ最強。
こういう現実的な考え方も1つ。
放っておいてくれれば、世界には価値が百花繚乱咲き乱れたかもしれない。
それを殺めたのは、かつて殺められた者たち自身なのだから。
教育には感謝している。が、同時に恨みもする。
何かが一つに決まる、選べる、矛盾しない ― そういう言い方は「大人」のものだ。潔いものとは言えない。
僕たちは言葉がなくても何でも出来るということを、もはや信じられないのだろうな。
それどころか、「言葉」といって「生きること」を寸断してしまったは君たちかもしれない。
ともかく... 生きる意義などを問うバカにはこう言わねばならない。
今すぐ死ね。それができれば貴様の生は僕にとっても意義があろうと。
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