暇なので仕方ないと思うんだ。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
非常に都合がいい単語だとは思うのですよ?
それが良い事かどうかは別としてもだな。
無修正出産シーンを映倫が初めて許可 市井昌秀監督の「無防備」
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/091007/tnr0910072116012-n1.htm
今回、出産のシーンを「倫理」としてどう扱うべきかがちょっとした問題となり、結果は「18禁」となりました。
社会の実勢やら法制やら考えてみても、少なくとも「公開不可」はまずありえない。
まあ、18才以上という制限には全体と整合性があると思います。
するとここから先の問題、つまり「出産は社会的にどう扱われるべきなのか」ということは、我々がこれから改めて大枠として決定しなければならないわけで。
出産が、例えば青少年に悪影響云々とか、「まだ見るのは早い」とか、そういうことがあるのかどうか...
子供、とりわけ女性がアイデンティティを確立していく時期には、あまり無理に見せない方がいいのかなあと思う。
両性の性行為から切り離して女性の出産だけを教えれば、性差に基づいて人格をくっつけちゃうのが目に見えているから。
だけど、女性が子供を生んでくれないと人類滅亡は確実なので、そこは社会の公益のために「ああ、女は子供を産むものなのだな」と思ってもらえれば正直なところありがたい。そのような合意が形成されれば女性に対する「教育」のツールとして妊娠出産の記録を使うということは大いにありえる。
例えば「ウエディングドレスを着たい」ということをぼんやり女の子が思うとしたら、そりゃもう完璧に刷り込みなんですけど、これはあまり社会的な問題にはなっていない。
それと同じように「子供を産みたい」と思ってもらえれば...
「産む機械」だと言っているように聞こえるとしたら、君は正しい感覚を持って僕の心を見透かしていることになる。
そう、確かにそうだ。僕は全体の利益のために、女性に10ヶ月を差し出せと言っている。
でもそれを「ヘンだ」と思う人がいるのなら、やはり僕は聞きたい。
全体の利益のために40年を差し出した、我らがオフィスワーカーの人生は如何と。
「社会のために」という言い方は非常に恐ろしく、また強力でもあるけれども、その手の合意に基づいて生きている人間が大多数であること、どうやら人間というものにはその生き方が「相応しい」こと、それらは事実なのですからね。そして社会は法律であれ慣習であれ人間に大小様々のことを要求する。それは一言で言えばルール。
もちろん人間稼業に参画する気があまり無い、僕のようなものもありますけれど、それでも僕は道路交通法を守り日々生きている。
こういうのは、ルールのうち都合のいい部分を守っているだけなんだわな。
だから例えば、独身子なしは重税を払えとか、そういう法律が出来る可能性だってあるんだけれど、きっと僕はそれに従うでしょうよ。不利益と利益を考えたら利益に目が眩むから。
まあ少子化しようがどうしようが、僕の利益なんてほとんど変わらないでしょうけどね。
それでもあれだ、僕は今を生きている。過去も未来も知らず。
そして社会も今を生きている。過去も未来もなく。
似てるやつを見かけると助けたくならねえかなあ。
友人としてさ。
それが良い事かどうかは別としてもだな。
無修正出産シーンを映倫が初めて許可 市井昌秀監督の「無防備」
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/091007/tnr0910072116012-n1.htm
今回、出産のシーンを「倫理」としてどう扱うべきかがちょっとした問題となり、結果は「18禁」となりました。
社会の実勢やら法制やら考えてみても、少なくとも「公開不可」はまずありえない。
まあ、18才以上という制限には全体と整合性があると思います。
するとここから先の問題、つまり「出産は社会的にどう扱われるべきなのか」ということは、我々がこれから改めて大枠として決定しなければならないわけで。
出産が、例えば青少年に悪影響云々とか、「まだ見るのは早い」とか、そういうことがあるのかどうか...
子供、とりわけ女性がアイデンティティを確立していく時期には、あまり無理に見せない方がいいのかなあと思う。
両性の性行為から切り離して女性の出産だけを教えれば、性差に基づいて人格をくっつけちゃうのが目に見えているから。
だけど、女性が子供を生んでくれないと人類滅亡は確実なので、そこは社会の公益のために「ああ、女は子供を産むものなのだな」と思ってもらえれば正直なところありがたい。そのような合意が形成されれば女性に対する「教育」のツールとして妊娠出産の記録を使うということは大いにありえる。
例えば「ウエディングドレスを着たい」ということをぼんやり女の子が思うとしたら、そりゃもう完璧に刷り込みなんですけど、これはあまり社会的な問題にはなっていない。
それと同じように「子供を産みたい」と思ってもらえれば...
「産む機械」だと言っているように聞こえるとしたら、君は正しい感覚を持って僕の心を見透かしていることになる。
そう、確かにそうだ。僕は全体の利益のために、女性に10ヶ月を差し出せと言っている。
でもそれを「ヘンだ」と思う人がいるのなら、やはり僕は聞きたい。
全体の利益のために40年を差し出した、我らがオフィスワーカーの人生は如何と。
「社会のために」という言い方は非常に恐ろしく、また強力でもあるけれども、その手の合意に基づいて生きている人間が大多数であること、どうやら人間というものにはその生き方が「相応しい」こと、それらは事実なのですからね。そして社会は法律であれ慣習であれ人間に大小様々のことを要求する。それは一言で言えばルール。
もちろん人間稼業に参画する気があまり無い、僕のようなものもありますけれど、それでも僕は道路交通法を守り日々生きている。
こういうのは、ルールのうち都合のいい部分を守っているだけなんだわな。
だから例えば、独身子なしは重税を払えとか、そういう法律が出来る可能性だってあるんだけれど、きっと僕はそれに従うでしょうよ。不利益と利益を考えたら利益に目が眩むから。
まあ少子化しようがどうしようが、僕の利益なんてほとんど変わらないでしょうけどね。
それでもあれだ、僕は今を生きている。過去も未来も知らず。
そして社会も今を生きている。過去も未来もなく。
似てるやつを見かけると助けたくならねえかなあ。
友人としてさ。
PR
ブログ内検索