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暇なので仕方ないと思うんだ。
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夫婦別姓がどうだこうだと。
あれを単独で導入しても、今はもう意味が無い気がするんですけどね。

意味が無いというか、必然的に色々変わることになる。だから単独なんて無理。
「家族制度が崩壊」とかいうのはアレだが、まあ結果として全く変わることにはなる。


大きな違いは「旧姓を保持」するのか「旧姓表記を容認」するのか、ということだ。
ここではまず「旧姓を保持」するパターンを考えてみよう。今議論されてるのはこっちだから。

それで更に急進的に、姓の選択が出生時に自由に可能であり、これを一々戸籍に表記するとしよう。
この場合、戸籍が事実上個々人での登録制度に変貌するのではないか。もちろん実際に個人登録制度を導入することも可能ではあるが、そこまでのことは出来ないだろう。

これがいわゆる「家族の一体感が云々」の根拠。

個人登録はそもそも「家族」というものを書類に表記する統一的形式がなくなるということ。
それでなくても、選択を認めるだけで子供の姓がハチャメチャになる→子供パニック→家族\(^o^)/
というのが反対者の見解。

が、戸籍制度をいじれば影響はそんな瑣末なことでは終わらない。


それは将来、必然的に「氏の変更」に関する規定に影響することになる。間違いなく。

今は、名の変更は比較的容易に出来るんです。でも氏はほぼ変えられない。
いやまあ、名の変更が「容易」といっても流石に一朝一夕には無理で、世襲とか同名とかなどの理由が無い場合には、通称として長年使用した証拠品が必要になるんですけども。

で、なんで氏が変えにくいかといえば、文化・社会の部分を別にすれば「家族みんな一緒に変わるから」。
ファミリーネームを変えれば皆一度に変わる→めんどい→慎重に行こう。

単独で氏を変えようと思ったら(例えば養子に入った人間が縁組関係を維持しつつ旧姓を回復するとき)、戸籍を切り離して云々しなければならないそうです。

ここはwikipediaより。


でもそれは、リクツの上での話、制度の性質として家族が「一蓮托生」だからなのであって、この理論防御はシステム上の困難が無くなれば通用しなくなる。

すると、まあこれは想像ですけれど、夫婦別姓と個別戸籍が導入されれば家庭裁判所に駆け込む人間が莫大な数になるでしょうね。
特に名の変更を行った実績のある人たちが氏も変えさせろと大量に湧き出てくるだろう。戸籍のここを変更させろと。

いつかこれを裁判所は認めるかもしれない。
だって例えば、結婚・離婚・死別が複数回行われれば、家族内に3つ以上の氏が(子供の氏が両親のいずれとも共通せず!)存在しうるのだから。

もちろん、離婚時などには親権を保持する側の姓に書き換えることも制度上はありえるだろう。
でも、それは不当ですよ。結婚時には自分の姓を維持できるのに、両親が婚姻関係を解消したら自分の姓が強制変更だなんて。

子供だって社会生活を営みつつ、未成年であっても契約行為の主体にもなるし社会に対して名乗ることもある。
強制変更が公平性を欠き社会に不利益をもたらすのは明らかです。


だから家族内の氏統一は消滅する。
そこで、通称で用いている氏へと後から変更できるかもしれないわけだ。

本来なら名とともに変更されて然るべき氏を束縛していた表記上の規則は無くなったわけだし、「家族=氏が共通」ということもなくなるし。
変えちゃいけない合理的理由は、少なくとも現代社会には無いと思うね。だって現に名は変えられた人たちだし。


つまり夫婦別姓、すなわち戸籍における家族内での「氏」並列は、改名解禁を制度上準備することになり得る。
この場合、確かに夫婦別姓の導入で家族制度が崩壊する、というか、明治以来の一元的で変更不可能な「家-戸籍」制度を崩す(≒元に戻す)ことになるでしょう。

だが話がそこまで進むと、そもそもファミリーネームの保持を義務付ける法律は不当だと言われてもおかしくない。
家族という単位を明示するため、ただそのために氏はあるのであって、これが分裂しているなら原理的にそんなものを保持しておく必要だってない... と。

「氏名」という構造の意義すら危うくなりかねないわけだ。まあこれは遥か未来の話か、論理上のファンタジーだろうけれど。


こういう問題を避けるためにも僕は、極めてトリッキーな方法こそが一番容易に「家族」と「別姓」を両立させうるものと確信しています。
それは、「苗字」を新たに創製して「姓 - 苗字 - 名」の三者を用いることです。

姓で血統を、苗字で別個の家を、名で個人を表すのが中世的な人名でした。
これを応用するのだ。

要するに、現状の戸籍体系はそのままにしておく。夫婦別姓も一切認めない。
その代わりに、氏名の登録を「名」のみで行うパターンと「苗字 - 名」で行うパターンと、二つとも許容する。

夫婦別姓となりたい場合、姓の変更を余儀なくされる人は「苗字 - 名」への改名を行う。
例えば田中太郎と佐藤花子を婿養子で結婚させると、太郎くんは「佐藤田中太郎」になれる、というように。

そして、苗字と姓の同等な取り扱いを公的に保障すればそれでいい。署名においては、姓と苗字どちらか一方を表記すれば完全な法的効力をもつのだと。
「同一個人の統一が無くなる」と言うならば、特殊な場合には三者全てを書くよう義務付ければ解決する。


新生児の命名にも自由に「苗字 - 名」を認める。

これが重要なのは、姓を両親から継ぐことと、名乗る名前を決定すること、この2つを分離できることである。
基本的には苗字を田中にするか否かの二択ではあろうけれども、そのほかの可能性を原理的に排除すれば、制度に思想が入り込んでしまったことになる。


だから子供の名前が「佐藤小泉純一郎」になっちゃうかもしれない。それはそれでいい。

いずれの場合にも姓と苗字が同等だから、子供に十分な理解力がつくまでは苗字を名乗らせる必要もない。
それで苗字を名乗る必要を感じなかったら削除してしまえる制度、および旧姓付け足しを容易に認める制度を定めればよい。これによって子供の側が(事実上)両親の姓のうち一方を後から選択できることになる。婚姻時に苗字の定めをしていなくても、もちろん出来る。

これならば名前をまるごと通称に改名することも容易になる。
つまり改名を解禁できる。田中太郎は家裁に届け出て従来どおりの審査を受け、「田中中村一郎」になれるということだ。
家族関係を明示したままで。


もちろん、全て今まで通りでいいという人は苗字を設定しないだけで済む。
つまり現状維持が容易である。


これが一番柔軟でマトモな解決案だと思うんですけどねえ。
姓の家族単位での統一には実務的な利益があることも、伝統文化に馴染むことも、否定できないのだし。

どうかなあ。 うーむ。
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