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暇なので仕方ないと思うんだ。
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http://www.nicovideo.jp/watch/sm3671635
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8009498

素直に笑った。


愉しい、の仕組みがよく分からなくなった。
といって僕はcoccoでも無いので「そういう訳ではない」、のだが。

Coccoの写真がヤバ過ぎる、激やせ傷だらけ
http://news4vip.livedoor.biz/archives/51355436.html

前にcoccoの感想を求められて「こわくなる」の一言で済ませていた僕ですけれど、本人がああ言っているのを見ると、むしろやや心が落ち着く。
おぼろげにそう感じられるというのは感受の問題だけれど、本人がそれを言ってしまえば、要はつまり問題が存在するようになれば、曲はむしろ参考知識に過ぎなくなる。よって僕はそれを僕の力で感じ取る必要が、それをそこにあると考える必要がなくなり――それによって発生するだろう必然的な感情を同時に存在させることもなくなる。

今ふと思ったのです、感情は非共同行為を確固たる存在にするうえで意義を持つのではないかと...

うん、『樹海の糸』です。どうしてこれを購入したのかは、もう覚えていなけれど。
確かテレビでこの人を見かけて、ああメンヘラだなーと思って買いに走った記憶もある。そしたら案の定でなんだかなって。

今聞きながら考えてみても、この曲自体はやはり「こわくなる」。
「魔王」が全然怖くないのと同じ明らかさで、coccoは僕を恐怖させ――そうしてあちらは他人を支配しているのだ。

coccoの歌をそういう風に感じ取れなかった人がいたとしたら、その人はなかなかよい耳を持っている。
話者を偽る聖人という意味合いで、だが。
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