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暇なので仕方ないと思うんだ。
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こないだ眼鏡を新調したときの話なんだけど、フレームの調整してるときに店員が

「あ、睫、長いね」

とか言いやがったことを思い出した。
何をきさま残念そうに言ってやがるんだこのやろう! 僕の睫が長かったり爪が綺麗だったり手首が細かったりして何が悪いんだ!

部分的にレベル高い装備品もらってもね。
ちょっと僕には活用しようがないです。

そして装備品なのに取れないし売れない。
なんという呪いだ。


またしても自分が言っていることが理解できない...
どうして分かりやすく話せないんだ。こいつめ。

でね、今日寝ながら考えてたんだけれども、遺言はやはり全世界宛ですよ。

自分が死んだ後に遺言が執行されるべき世界が残らないなら、意味がなくなってしまいますものね。
それで全く無意味とも思いませんが。

ただ、昨日は安易に共有とか書いたみたいですけど、これはどうかなー。
単に相手の世界に自分が存在してると思ってれば遺言できるはずですからね。

それってどういうことなんだろうね?
僕が君の考えていることを考えて、ということはつまり、世界を多重に存在させて、もし二つの世界が等しい重さだとしたら、どういうことが起こるかというと、僕の世界と君の世界と、どちらかが死に行くときには、死に行くヒトの世界は確実性において劣後するんだよね、きっと。つまりあやふやになっちゃうってことね。

死に行くヒトが別の世界へと、生き残る側の世界に移り住む作業なのかもしれません、遺言は。
そうまでして... 人間は世界に尽くすものかな。あんまりこの考えは自信ないなあ。

そもそも昨日から繰り返しているように、僕の存在させる世界と、僕が存在させている「君が存在させているだろう世界」が等価なんてことは無いのだから、死に際には(あるいは日常的に)人間はあんまり頭を使って生きていないことになる。
ふむー。


そういえばまだ、人間がなにか新しいことを言いたがるのは、もしくは古典を引くのはどういうことなのだろうか、そういう事を書いてなかった。
次はこの話かな、うん。
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