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暇なので仕方ないと思うんだ。
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http://www.nicovideo.jp/watch/sm7507511

誰かが自分自身のことを特別な存在だと...
いや、別にヴェルタースオリジナルの話ではなくてね。

あれはまあ「じいさんが勝手にそう思ってる」わけですけど、自分で自分をそういう風に、思わない人というのがいますからね。

いや、思っていないわけでもないのだろうけれども...
それとも実際君たちはあれか、人間は人間だからみんな均質・平等だと思ってるわけか。腕の本数とか視覚の不具合とか思索能力の高低は人間に差異をもたらさないというお考えか。

バッカじゃねえの、と思うね。
どんな基準を無視したって、人間なんてもんはどこにもいない。それは歴史が繰り返さないのと同じこと。

ただそれは今ここに「どう見ても人間という括りがあるように思えてならない我々」が、ぽつねん生きているという、それだけの話だろう。
差別だレイシズムだと、しょうもない言葉を持ち出すばかりでは何も誠実に取り扱うことは出来ない。

人種を区分しないとは実に高尚、結構なことだが、僕は国籍の概念を非難する宗教勢力を聞いたことが無いし、ましてそんな学派が哲学や人文学にいることも聞いていない。

穏便に済ますために「現実」とか「慣習」とか言うのは、つまり、平等とかいう言葉の綾を生み出したのは、法学徒の仕事ではなかったか。だのに、一個人としての君たちの、なんという浅ましい魂か。
不誠実を存続させることを選び取った人間の思考過程は、どうも僕に追体験を許すほど誠実ではなかったようである。

見えなくなることと、無視することは違う。
いずれヒトは馴れ行く。動かない社会に差別など見出されようがなかろうが。


例えば如何ながら我々のホームレスに対する目がそれだ。これはもう差別とは「言い出せない」ほど、少なくとも社会的には強固なものになってしまった。

何故、ホームレスを差別してはならない旨、活動する勢力が主流たり得ないのか。
それは簡単な話で、我々がホームレスに対する社会の取り扱いを正義だと思っているから。

自業自得、自己責任、潮流、無能。こういう言葉が我々の思考を正義とする。過程なく結論を得るのだ。
さながら色の薄いほうが濃いほうを奴隷にする、それと同じ空しさで。

ただ現実として、公園で寝るよりマシな暮らし(と僕が思うもの)を彼らが送れないわけではありえないので、僕はこれを差別だからやめようという気持ちは無い。
鼻が曲がるほど臭いのは事実、職能豊かではないというのも現実として事実。

こういうことを知っているから、僕たちは「ホームレスを社会に溶け込ませよう」とは思わない。「ホームレスを優遇しよう」とも思っていない。(では救済はするであろうか?)

君たちが、生まれもって「社会的無能」であり、目下の現実としてそうでもある、疾患者たちを優しくいたわる間に――
そして君たち自身もまた、沈黙する無能であり、僕にとってほとんどクソのような価値しかないというのにせっせと生き抜こうとする、その間に。

群れを成すのだ。
何かがそこに確かにある、自己の力を持ってそれを語れない人間はそう、群れるより他はない。


かつて海の向こうで、もしくはこの島の彼処で、親の身分を持って子の処遇を決めることは当然であった。
それが当然であったのは、それが当然であるという、強固な理論に支えられていたから。

今日我々は黒いのも白いのも差別しない。
それが人間として正義であると、十字架掲げた人たちがかつて語っていたから。

――今はそれが当然であるから。
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