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暇なので仕方ないと思うんだ。
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もう眠いんであんまり期待しないでください。
何を書くのかも決めていないので。


普通の場合、今日が真ん中にあって、その前後に明日と昨日があると思うんです。

...わかるかな? 明日と昨日が(距離感として)等価に並ぶことが出来るっていうことなんだけど。
もちろん中身は全然違うんだけれど、明日の反対と言われれば昨日かな、っていうようなニュアンスでね。

さっき思いついたんだけど、これって変じゃないかなあ。
確かに夕方過ぎたら「今日」がどういうものだったか決めたって構わないと思うけれど、大概、昼だろうが早朝だろうが「今日」っていうものはどことなく、一まとまりに感じられるんですよ、僕は。

説明が難しいな。
んー、朝の時点では「今日」は未来ですけれど、と言って夕方に「今日」が過去になっているかというとそうではないですよね。
過ぎ去った「今日」はずっと「現在」に感じられると思うのです。記憶あるわけだし。

で、(寝る時間としての)夜になったら、僕たちは寝なければならないですよね。そうすると起きたらまだ「今日」なんだけどそれはどうもさっきまでの「今日」とは別物のように思われるわけで。
そんなこと考えてて思いついたのは、「今日」っていうのは「明日」を回収していくことなんじゃないのかなーと。

朝起きて、それから十数時間に渡って横たわっている「明日」を少しずつ受け取っていって、眠ってはまた「今日」を繰り返す。
んー、要は、ある一日のうちまだ僕が過ごしていない部分って「明日」だと思うんです。昨日を前日にして、次の日を翌日っていう風に言葉変えてみると、

前日- (今日/明日) - 翌日

こんな感じ。

例えばさあ、明日と朝ってすごく近い意味で運用されてるじゃないですか。古語とかドイツ語とかではね。
それって、眠りから覚める動作に重きがあるからだと思ったんです。眠りという不思議の前後にある「今日」と「明日」、また一日が始まる、その時点が「明日」のシンボルなのではないかな。

それはつまり、「夜の寝る時間に次の朝を意識すると今日と明日が想起される」っていうことであって、別に朝っぱらに「今日もあと何時間で明日に変わるなー」とかそういうことまでは考えてなかったと思うんですよ、もちろん僕たちは当然のごとくそう思いますけどね。
つまり、ここでは眠る前に人間の考える基準が睡眠時間中の自分に仮想的に移っていって、そこから見て前が今日、後が明日っていうことになってるわけ。

そういう理屈で言うならば、この一日のうち過ごした部分が今日、そうでない部分は明日っていう風に定義したって、一向構わないと思います。
何故かといえば、その方が「今日」の広がりを感じられるから。つまりは「明日」は時刻の到来を待たずにどんどん「今日」に取り込まれていく、そういう様が感じられますもの。

というか、過去が今日で未来が明日っていう風に定義してやれば、徹夜する人も昼夜逆転の人も、同じ感覚で会話が出来ると思うんだ。
もう別に太陽の信者でもないからね、僕たち。

徹夜明けには「今日 - 明日」の変遷を感じないのに、時計が12時をまわったら「新しい一日がはじまる!」なんつーのはちょっとセンスが無いと思うのね。
なんかバカっぽくてヤダ。


ということで、今日から僕は次の日のことを「翌日」、これから過ごす時間のことを「明日」っていう風に言い分けようと思います。
とは言えある一日のほぼ全部分は「今日」に仮想的に収められちゃってるわけなので、どういう風に日本語の使い方が崩せるものか、未知数ですけどね。
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