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暇なので仕方ないと思うんだ。
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月曜からさっそく社会生活脱落。
まあそんなことは(毎週毎月毎年のことなので)どうでもよい。

tkd「発表資料の具合を見ていただきたいんですけど」
教授「じゃーメールで送ってくれ」


...サイトに研究室の住所を載せてメールアドレス載せてないっていうパターンは初めて見たぞ!
幸いに住所録を掘り起こしたからいいようなものの、どうするつもりだったんだろうかあの人。

んでまあ、正式名称が不明な文献を参考文献に挙げるには云々の相談。
すぐ終わった。

これ午前一時半の出来事。

こんな時間にメールする僕もアレですが、すぐ返信してよこす教官もちょっと色々とアレではなかろうか。
論文とか書いてたかな、悪いことしました。さーせん( ^ω^)


んでまあそんな深夜まで頑張っていた僕は当然の人権として授業を自主休講にして、三時からの文化資源なんとかだけ聞きに行って、ものの見事に来週までの課題を当てられ、単に宿題が増えただけに終わった。
専修より他所の勉強の方が面白いから困る。まぁそれはやっぱり周りにいる人間が自分より劣(ry

そういえば先週あたりに必死こいて書いたbitteとmalの違いについて、なんか発表するあてが無くなってしまったようなので、そのうち書く事が無い日に貼る事にする。
一体誰の役に立つのかは知らないが。


しかしどうしようかな、来週の発表と言うのは、例の鎌倉の件に感想を5分言えばいいだけなんですけど。
中身の無いことは言いたくないから、もう一度鎌倉にちゃんと見に行こうかしら...?


>だが近年、『三槐荒涼抜書要』に、頼朝の征夷大将軍任官の経緯の記述が発見された
(それまでは同時代史料の記述が見つからなかったため、後世の編纂史料である鎌倉幕府の
公式記録『吾妻鏡』の記述をもとに推測がなされていた)。
それによると、頼朝が望んだのは「大将軍」であり、それを受けて朝廷側が、凶例である「惣官」(平宗盛)・「征東」(源義仲)や
先例のない「上将軍」を斥け、吉例である「征夷」(坂上田村麻呂)を採用することにしたという。
つまり、頼朝にとって重要なのは「征夷」ではなく「大将軍」であり、朝廷側も消去法で選んだだけだったことが
明らかとなった。そのため、「征夷」に重点を置いた解釈のされてきたこれまでの研究には再検討の必要が出てきている。

wikipedia : 征夷大将軍より

学者「征夷大将軍になったのは鎌倉での東国支配を正当化するため(キリッ」
だっておwwwwwww

まぁ、100年前はルビ振ってあったのに読み方を失伝して間違えてたとか、歴史家っていうのはこうバk(ryお茶目なところがありますからね。
でもwikipediaソースですから、ちゃんとした情報源を探してみないと嘘か真かどっちやら。


お知らせとお詫び
http://ameblo.jp/nakamuraine/entry-10277091263.html

コメント多くて笑った。
中学生と58歳(男性・窓際)風のコメントが多くてとても面白いです。
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