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暇なので仕方ないと思うんだ。
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今まで色々なところで「赤ちゃん」の話を聞いていて、というのは文系的に赤ちゃんっていうのは最後の砦というか、問題性とか課題とかそういう言葉を生き長らえさせる燃料なんですけども。
どの段階から赤ちゃんか、つまりは、何日目から人間なのかとかそういうあれでね。

今日もそういう話があって、分かりましたね。
うん。

一言で表すと、なんて不誠実な議論だろうと思ったわ。
既に自我を持つ自分を前提にして、自我なんか有り得ない胎児をどうするか議論しましょう! っていうのだからな。

自分に当てはめられない議論を客観の名の下に打ちたてようとするのは、終始、神の視座からの思考だと思います。

人間は自分自身でしかないからねー。
当事者にゆだねるしかない類の問題だと思う、人命に関わる思想というのは。


そうすると果たして刑法なんかあっていいのかという話にもなるわけだが、その辺はまだしらね。
陳腐な社会の防御論理を用いるのも悪くないんだけど。

やっぱり「死」という感覚があまりにも独善的なものだから難しいんだと思うけどね。
「これから生まれてくる」というのも一つの予測であり分析であり、信仰であるわけだし。


人間の間引きと機械管理はこういう議論を一掃する、と言われればそうだと思う。「機械的に」生死の境を定めることは簡単だろうし。
機械の形態って本当に、人間の基本傾向を如実に現していますよね。

まあ技術の進歩はこわいねってあれ。

ただまあ、例えば人間があと一人だけ、という状況なら法律論とかその背景にある思想なんて全く無用のものになるように、あんまり極端な事例を検討することはとりあえず僕には意味が無い。
無いのだけれども、そうなってしまえる可能性を僕たちが生み出すとしたら、まあやはり難しい話ではある。


人間の心が持っている基本的な傾向、それを解き明かす言説。
そういうものをもっと明確に明瞭に語る必要があるのだが。

そういう意味では、あらゆる問題に関するあらゆる意見を収集して取り扱う作業が、僕には必要なのかもね。
他人の意見を解体して捨て去る、そういう流れ作業が。

スタイルはもう分かっているんだ。理由があるなら知りたい、今はそういう段階。


自分をブスだと認められない、ナルシストな喪女
http://news4vip.livedoor.biz/archives/51299938.html
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