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暇なので仕方ないと思うんだ。
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さっき思いついたんだが、音楽というのはある特定のパターンを共有するという行動自体に人間にとって欠くべからざる特性が潜んでいるのではないか。

不本意ながら今の僕は、その起源についての驚くべき証明を何ら思いついてはいないので、せっかくの余白を活かす術を持たないのでありますけれど。
共有するという作法を、もっともっと根源的に追及すべきなのだと、僕はここで初めて明確に申し上げる次第です。

共有すること、自らの認識力を究極的に他者によって立つこと、この有様を人間的と呼びたいね。
そして、人間の超克はただ一人によってなされると信じたいもの。

存在するものを認識するのではなく、認識を、つまりあらゆる全てを存在させること、これが人間の根底にあると僕は信ずる。
あらゆるものを存在させるのは自分に過ぎないが、これを集団の論理として、人間が人間として他者とかかわる前提として考える、ここを転換すべきではないか。

弱い存在だと思います。
矛盾という概念が僕たちをどれだけ臆病者に貶めてきたか...

5000年ほどしか歴史をもたない身分でありながら、この世の末を思う、なんと弱々しいことか。
末法も原罪も、ただ寿命からの逃避でしかない。自らの生を他者に、社会に依拠して語ることのなんと愚なるか。


酔っ払った。
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