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暇なので仕方ないと思うんだ。
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278 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2009/03/28(土) 13:12:04 ID:Zp0DuWn20
根性があるのがイチロー
逮捕状があるのが一郎

「壁を越えたイチロー、金で肥えた一郎」…「イチロー」と「小沢一郎」の違い、ネット上で盛り上がる
http://aruite5.blog.shinobi.jp/Entry/1238/


今日はちょっとした会話のついでに、馬鹿どもの教育方法について緩やかに議論してきました。

あの餓鬼どもはあまりに多くを全体共有しすぎなのではないか。
没個性という次元ではなくて、もっとこう、統一的な、一つの人格によって立たなければいけないというニュアンスの強迫観念でも抱えてるんではなかろうか。

中学生が「韓国人が、中国人が」云々言うのははっきり言って異常だと思います。
ネット日本人(排外的でナショナリスティックで傍若無人で反調和的で民族主義的でサブカルチャー愛好)という虚像をあそこまで熱心に体現しようとする、いわゆる「ネタにマジレス」する子供を見ていると複雑な気持ちです。そんな人間がいないとは言わないし、むしろいても一向に構わないけれど、それに積極的に同化してまでオンラインの世界で主流派たらんとする、そういう心根が不憫。

他者と同質であることがアイデンティティーなんでしょうね。
秘密とか持ってなさそうな印象があります、ああいう餓鬼は。


故に僕が考えるところでは、何らかの形で餓鬼に関わる者は全て、彼らを中立に保つ努力を惜しんではならないのです。
僕はもちろん、「中立的な」という言葉の意味するものの無意味さ加減も、不可能も知っているのだけれども、それでも標榜せずにはいられないのであって、それはつまり自分の認識の浅薄さを知っているからこそなのであるし、「限界」というものを予感しているからなのである。更に言えば自分の影響力をとことんまで恐れているのである。

最善ではないことを確信していても、次善であると主張することは出来るのですからね。
子供の教導に対してエゴイスティックな喜びを見出す、侮辱主義のなんと栄えていることか。

根本にある発想は、相手が自分と等価ではない、自分のように、他者からの圧迫を処理できる存在ではないという諦観。
これを子供に当てはめるのはたやすいけれども、では「大人」とは誰であるか、この僕とすら対価である人々がどこにいるか。

こういうことを考えると、教育というものは決して19歳以下に向けた考え方ではなくて、人間を相手となす以上は全ての措置は教育的でなくてはならないということになるのであって、いかなる対象に対しても教育者たる、そのような強靭な精神こそを僕は希求しているのであった。

引いてはならぬ。
だが叩き潰してもならぬ。

常に対象を自己に劣後する存在と捉えて交わること、人間を相手取ること。
何者かに意見することは斯様に侮辱的な態度なのである。それがまた真実であるのだけれども、こういうことを考え抜いて与える侮辱はあくまで僕の見地からして侮辱なのであって、他者にとって(つまり対象者にとって)屈辱ではないはずなのである。云々。


ヱビスビールで盛り上がった。
自炊がんばる。
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