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暇なので仕方ないと思うんだ。
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さっきよそでコメントした時に自分のアドレス打ち間違ったとかもうね
そういうときに限って削除キーを設定してないから困る。

まぁよいのだが。うん。


中学生の勉強と周りの人たちというテーマがあるようです。
どんだけだよと、お前らどんだけ勉強好きなんだよと。そういう話ですよね、しかしまあちょっと落ち着いて欲しい。

まあ、僅かにでもそういう子供と関わりがあります以上は、そしてその生成結果たる学徒少数の出来栄えを知る身としては、色々思うこともある。

思いついたから忘れる前に書いておくと、受験勉強から合格への流れって、克服としての全能感への「帰還」だと思う。
能動的な点に成長を自ら以て任じる余地がある辺り、実に人情を押さえたシステムである。


自分は何でも出来る。
そういうことを、少なくとも幼児期の用法においては周りが保障してくれなくない。自分でやらなきゃ得られないのよ、と。

もっとも裏口入学なr(ry


そうでありながら、周辺は当人の全能感の復権に、そこはかとない期待を持っています。
「やれば出来るんだから」「これをやらなきゃ」「これをこなせば」etc.

ここでは論から逸れるから一言で述べておくと、全能感というやつは幼児的なものと能動的なものに分けられている。
あくまで当人にとっては。人は優越を存在させたがる... など。

ともかく元に戻ると、質的に変容して意識される全能感、お空にぽっかり「全能」が浮かんでいること、ここでは全能の記憶といってもいいのかもしれないけれど、そういうものは競争の中では絶対に必要になってくるものだと思います。
一度それを体現した受験組が大学受験に強いのは、カリキュラム以外にそういう面があると思う。それを当然視する周囲というものも含めて。


そういう連中が受験を終えて陥る芳しくないパターンは大別出来ると思う。
「俺すげえ」と「はめられた」の2つです。

「俺すげえ」の人たちは、自分の成績と自分の能力を切り離し評価することに長けている。
つまり、本当は頑張れる自分(笑)を知っているので頑張らない。成績が良くても悪くても頑張らない。

「はめられた」の人たちは、受験をこなしても全く全能に慣れなかったことを恨んでいる。
そこで、報復的に周囲を攻撃し始める。成績が良くても悪くても周りの言うことを聞かない。


要は前者は全能感を幼児的に回復していて、後者は言いなりのまま全能に憧れを持った自分を唾棄する。
全能だと思い込んでいたか、全能になりたかったかと区分するのが分かり良いかもしれない。

どちらにしてもその後の受験戦士としては、コンプレックスとしての「もっともっと」の気分に満たされ、それに相対する「もういいや」の優越感に入り浸る、そういうゴミになっていく可能性がある。
出来もしないくせに上だけ向いてるやつとか。唾でも吐いてろ馬鹿。


そいで、まぁ話をまとめて眠ることにする。

結局のところ、こういう連中が中学の学習面で自活できないのは能力如何の問題ではない。
能力を新たに獲得することへの無関心さか、周囲への無意味な敵対のためだ。付け加えると、その現象自体は一般的なものだ。


>んで。
>そういう子たちが中学に入ると、「もう中学生だから自分でやりなさい」と言われるわけですね。
>今まで、如何に計画するかのノウハウを一切教えられてこなかったのに、です。

>どうやったらいいかわからない。今思えば学校側もその点をよくわかった指導をしていたように思うけれど、やっぱり突然自分でやるにはせいぜい12年しか生きていない子供には重荷にすぎる。


>だいたい一週間って168時間あるんですよ?
>そのうちの1時限=50分とかのホームルームで計画表書いたって効果は高が知れてます。
>生活のうちの大半を占める家での行動は、やっぱり家で管理するのが筋だと思うわけですよ。

>せめて中学入って少しの間くらいは、親が今まで陰でしてきたことを伝える期間があってもいいと思うんです。
>受験が終わって親も疲れた、というのはエゴじゃありませんか? 一番疲れて、労われるべきは誰ですか?


こういったら申し訳ないけれど、tkdなどの場合、「自分でやりなさい」どころか「えっやってないの?wwwwwwそりゃまずいべwwwww」くらいの話(試験後)であって、まぁ一年くらいはペースつかむどころか試験勉強ってなあにくらいのもんでありました。

なんつうか育ち方が「悪い」んだよ、彼奴らは。
「先に受験させときゃうめぇwwww」みたいな保護者諸氏とは到底仲良しにはなれないことをはっきり認めた上で書くけれど、それでもこの対処については親が正しい。餓鬼にはこのくらいの事を思わせてなんぼである。それが普通なの、普通。みんなそうされるんだわ。

それを直ちに「だから親なんて信用ならんのだ、なんと不幸なことだろう、俺にはこんなことは出来ん、何故だ!」等と攻撃的に転嫁するあたり、幼児的全能感への憧憬が顕である。情けないにもほどがある、マザコンどもめ。


しかし別にそれを特異だとは思わないんだけどね、僕もそうだったし。
今更英語なんか脳科学的に無理じゃぼけが! って叫んでたし。

それにしても「誰のせいであるか、実際なんという親の不親切だ」という風には思わなかったけどね。まぁ受験の子らは親御との結びつきが顕著だから、そういう離別を「自分特有ですごく非人道的な、世間一般に受け入れられていない受験戦争の負の部分」などなどと長々形容して自分の立ち位置へ、つまり彼らの特権的な高み(と自認するところ)へ受け入れているのだろう、と見れば、あまり僕などにとっても不思議な話ではない。

まーた「あなたとは違うんです」ですねわかります、という感じ。
結局そういう点で考えれば、周りとは違うんだという思想の植え付けが、何度か使っているように言い換えれば幼児的全能感からの欲求が、いかに効果的に子供を支配するかということでもありましょうな。

彼らはことあるごとに自分の特殊性を、そして特殊性に裏書された優越性を持ち出すのだけれど、大体は底の浅い保身である。
その逆に僕などが自分に起こることを直ちに普遍的現象の一端として持ち出すのもやはり自戒すべきなのだが...


成長という価値と可能性を拒む、あるいは認めない姿勢がそこにはある。
すでに自分は完璧だという意識があるから。

こういう連中は大学選びで、2年の段階で入れるところを難関として自画自賛的に絶賛して、そこしか志望しない印象がありますね。
既に俺は最高レベルだからこのままでこの難関大学行っちゃいます的な。目標を定めてから絶賛することで、なんて難しいところに行くんだろうと盛り上がることで、万能への欲を満たすのだ。

死ねよ、こっちは文学部だって必死な思いで入ってんだぞ(#^ω^)


僕自身の話をすれば、高校の頃は実に甚だしかった。
パワーエリートへの絶賛と誘導が。

自らの目標を絶賛することは自らを称える賛歌。
自発的な優越心を生み出すことが万能感への誠実な希求になる。まさに僕がこれ。

結局同じなんですよね。受験の過程で起こることなんて、みんな。
僕の場合は目標のほうが当時の僕より上にあったっていうだけ。

しかしそこで仔細を切り出して「如何に我は不幸か」というのが人間の弱みであろうか。
僕だってやろうと思えば「受験経験の無い田舎の人間に大学競争させる無慈悲さ」で同じことを書けるよ、うん。



餓鬼なんだよ。
何処までもタチの悪い... そしてそれが普通のことなんだ。
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