暇なので仕方ないと思うんだ。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
昨日書いたやつ。
食堂に行くと同じ人間にしか会わない件。
明日はどうしようかなあ。
金曜は何もない日、休息日でも安息日でも仏滅でもなんでもいいが、ともかく休みなのである。
明日は昼からバイトかと思ったら沙汰止みになってしまったのでますます対処に困ります。
...今、変換が「大暑に困る」ってなって、ちょっと面白かった。まあいいけど。
最近僕が会っていないやつも、会ってるけど無視してるやつも、多分僕と同じように「同じ人間」としか接触がなくなっているのでは無いかなと思います。大学に入ってから結構かかったね、人間関係が狭くなるのに。
そんな生活では幾人かの「友人」をいつ切れば良いのかというのが中々悩ましい問題で、明日明後日に樹海に行くというなら寧ろ話は分かりやすくなるかと思うのですが、しまったことにいつ死ぬともしれない人生なので、どうしたものかと...
みんな人間関係を中途に放置してもらえるとありがたい、というか。
いずれ「沙汰止み」になることだし。
下手に完結すると忘れるからね。
人間に「別れ」なんて発想を持ち込んだ奴は情の無い奴さ、小綺麗に生きていたがるものだな。
まあ悪趣味なんで。
予期せず知り合いとすれ違ったらどうしてます?
tkdは圧倒的に無視します。
何故ということもないんだけどね。多分もう駄目なんだと思う。そういう風になっちゃってる。
通行人に埋没するのが好きなんです。そういう風に言うとちょっと根拠があるかのように聞こえる不思議。
ああいう調和が大好きなんですよねー。
似たような、僕にとっては似たようなことなんですが、時計を確かめて歩き出す瞬間とか、定期を出し入れする時とか、ある決まりきった動作にものすごい快感を覚えるんですよね。別に自分の動作が格好良くて仕方ないとかそういう意味ではなくてね、パーツとしての一連動作がちゃんと発動したことが何故か嬉しい。
だから予期せず誰かと話とか、面倒。前後の脈絡の方が大切に思われる。
今日も食堂に行くときと図書館とで二人ほど知ってる顔を見ましたが、傲然と気づかないふり。
基本的にずっと周りを見ているのですぐ気づくんですよ。それで気づかないふりをする。
図書館は知らんが食堂前の方はあっちも気づいてたな。実学に用などないから別にいいが。
視野が広いと便利である。
速読の書物から視野の部分だけを拾って訓練したことがあるのでね。なかなか面白かったよ、役に立つし。
昨日は食堂で二人。
一昨日は食堂で三人、図書館のパソコンのところで一人。全部無視した。
なんでってことはないんだけどね。
なんとなくだよ。
とりあえず男女二人で横にすわって食堂の椅子を幅広く占拠するのは止そう。
あっちが気づいて何か言うとか、するとか、そういうときは別に普通なんだけどね。
まあ、君たちもそういうことがあるんじゃない? 用事もない相手に立ち止まれない時がね。
それで不思議なのが、そうやって無視した面々を考えてみると、これがまた多様性にかけるメンバーなのである。
困ったことに、すれ違う人間すら定められているようなのだ。
出会いも無数ではないということを思い出すね。
「限られた出会い、限られた一日一日」というような科白があってだね、ゲームだけど。
あの一言の重みがゲーム全体の価値だった、実に。
ほんとヴィーナス&ブレイブスはイベントムービーだけでも全部見た方がいいよ。もちろん今からps2買ってでもプレイすべきだけど。
お前らはあの本がいいって言われたら読むくせに、ゲームはしないのな。
甘いよ、実に甘い。
これは雑談として受け取ってもらいたいんだけれど、歴史上一度も思いつかれていないことっていうのは無いのな。
そういう目で見ればね。
逆に言うと、新しいものというのは常に類似は表層の問題だと、お前の認識が甘いのだと、我は異なりと、素晴らしく自己満足な世界にしか生まれてこないという。
常に人類の思想は二人目で、始祖を持ってくることは出来ないのだよ。名乗ることは出来るけれどな。
一人目になることが僕の試みなのである。
哲学者が羨望のあまり発狂するような地位、つまり彼らが一蹴するような思想、そういうものを意図する。
差し当たって僕は人間の手掛かりを探しているところ。
他人というものをどう扱うべきか考えているのである。自他の関係性を語る以前に、他を認めることにどういう性格があるのかと黙然。
物理学で言うところの人間理論を使うのは容易いのだが...
自分の根底が他にあること、そういうコンプレックスと劣等感を主軸にするのも楽だが、夢が無い。
要は人間を認めているということなんだよね。
自然という世界の中に、共闘にたる同志として、命の鏡として。
んーやはり鏡として扱うのが真っ当かなあ。
それも面白みにかけるが、それ以前に説得力があるのか...
説得力というのは論理整合のことではない。
自立している世界かということで。うん、ラピュタの世界。
食堂に行くと同じ人間にしか会わない件。
明日はどうしようかなあ。
金曜は何もない日、休息日でも安息日でも仏滅でもなんでもいいが、ともかく休みなのである。
明日は昼からバイトかと思ったら沙汰止みになってしまったのでますます対処に困ります。
...今、変換が「大暑に困る」ってなって、ちょっと面白かった。まあいいけど。
最近僕が会っていないやつも、会ってるけど無視してるやつも、多分僕と同じように「同じ人間」としか接触がなくなっているのでは無いかなと思います。大学に入ってから結構かかったね、人間関係が狭くなるのに。
そんな生活では幾人かの「友人」をいつ切れば良いのかというのが中々悩ましい問題で、明日明後日に樹海に行くというなら寧ろ話は分かりやすくなるかと思うのですが、しまったことにいつ死ぬともしれない人生なので、どうしたものかと...
みんな人間関係を中途に放置してもらえるとありがたい、というか。
いずれ「沙汰止み」になることだし。
下手に完結すると忘れるからね。
人間に「別れ」なんて発想を持ち込んだ奴は情の無い奴さ、小綺麗に生きていたがるものだな。
まあ悪趣味なんで。
予期せず知り合いとすれ違ったらどうしてます?
tkdは圧倒的に無視します。
何故ということもないんだけどね。多分もう駄目なんだと思う。そういう風になっちゃってる。
通行人に埋没するのが好きなんです。そういう風に言うとちょっと根拠があるかのように聞こえる不思議。
ああいう調和が大好きなんですよねー。
似たような、僕にとっては似たようなことなんですが、時計を確かめて歩き出す瞬間とか、定期を出し入れする時とか、ある決まりきった動作にものすごい快感を覚えるんですよね。別に自分の動作が格好良くて仕方ないとかそういう意味ではなくてね、パーツとしての一連動作がちゃんと発動したことが何故か嬉しい。
だから予期せず誰かと話とか、面倒。前後の脈絡の方が大切に思われる。
今日も食堂に行くときと図書館とで二人ほど知ってる顔を見ましたが、傲然と気づかないふり。
基本的にずっと周りを見ているのですぐ気づくんですよ。それで気づかないふりをする。
図書館は知らんが食堂前の方はあっちも気づいてたな。実学に用などないから別にいいが。
視野が広いと便利である。
速読の書物から視野の部分だけを拾って訓練したことがあるのでね。なかなか面白かったよ、役に立つし。
昨日は食堂で二人。
一昨日は食堂で三人、図書館のパソコンのところで一人。全部無視した。
なんでってことはないんだけどね。
なんとなくだよ。
とりあえず男女二人で横にすわって食堂の椅子を幅広く占拠するのは止そう。
あっちが気づいて何か言うとか、するとか、そういうときは別に普通なんだけどね。
まあ、君たちもそういうことがあるんじゃない? 用事もない相手に立ち止まれない時がね。
それで不思議なのが、そうやって無視した面々を考えてみると、これがまた多様性にかけるメンバーなのである。
困ったことに、すれ違う人間すら定められているようなのだ。
出会いも無数ではないということを思い出すね。
「限られた出会い、限られた一日一日」というような科白があってだね、ゲームだけど。
あの一言の重みがゲーム全体の価値だった、実に。
ほんとヴィーナス&ブレイブスはイベントムービーだけでも全部見た方がいいよ。もちろん今からps2買ってでもプレイすべきだけど。
お前らはあの本がいいって言われたら読むくせに、ゲームはしないのな。
甘いよ、実に甘い。
これは雑談として受け取ってもらいたいんだけれど、歴史上一度も思いつかれていないことっていうのは無いのな。
そういう目で見ればね。
逆に言うと、新しいものというのは常に類似は表層の問題だと、お前の認識が甘いのだと、我は異なりと、素晴らしく自己満足な世界にしか生まれてこないという。
常に人類の思想は二人目で、始祖を持ってくることは出来ないのだよ。名乗ることは出来るけれどな。
一人目になることが僕の試みなのである。
哲学者が羨望のあまり発狂するような地位、つまり彼らが一蹴するような思想、そういうものを意図する。
差し当たって僕は人間の手掛かりを探しているところ。
他人というものをどう扱うべきか考えているのである。自他の関係性を語る以前に、他を認めることにどういう性格があるのかと黙然。
物理学で言うところの人間理論を使うのは容易いのだが...
自分の根底が他にあること、そういうコンプレックスと劣等感を主軸にするのも楽だが、夢が無い。
要は人間を認めているということなんだよね。
自然という世界の中に、共闘にたる同志として、命の鏡として。
んーやはり鏡として扱うのが真っ当かなあ。
それも面白みにかけるが、それ以前に説得力があるのか...
説得力というのは論理整合のことではない。
自立している世界かということで。うん、ラピュタの世界。
PR
ブログ内検索