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暇なので仕方ないと思うんだ。
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>「政治利用」という批判について、前原国土交通大臣は「今回の面会は、官邸に元総理大臣から
要請があったものだ」と述べ、そもそも自民党側からの要望で実現したという見方を示しました。


(テレビ朝日)
http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/index.html?now=20091215151557

それじゃ、どこかの政党が核武装を要求したら実現するのか…
さすが陳情に誠実対応する開かれた政権党・民主党(笑)


で、で。

ネット界隈で「接受は国事行為だから問題ない」みたいな主張があって…
というか、小沢自身が「憲法」だの「内閣」だの言ってる(国事行為と見なしている)みたいなので、勘違いしている人が少なからずいるようですけれど、今回のような接見は「接受」ではないんですよね。

そも接受というのは「アグレマン」を意味し、「外国政府が派遣する外交官の着任を承認する」という、一連の外交上の手続きをさす言葉です。

目に見える部分だけを取り出すと、外交官は本国政府の元首が発した信任状を携えて相手国に渡り、相手国の元首に信任状を奉呈する必要があります。
もちろん現実には「おーい新しい大使が信任状持ってきたぞー」なんてことが有り得ないことは言うまでもなく、事前に両国政府が協議・確認はしているとしても、儀式としてはこの手順を踏むことになります。

送り出す側としてのはっきりした意思表示が「信任状の発行」によってなされるのと同様に、接受国によるアグレマンの表明を明示するのが「信任状の受理 / 信任状奉呈式」であり、これが憲法でいうところの「外国の大使及び公使を接受すること」になるわけです、はい。

ときおり、外国元首との会見を接受だということがあるようですけれども、それは「接受=アグレマン」と解するならば全く当たらない。
「接受=会見・接見」という風に考える余地がないではないのかもしれないが、それでは「大使及び公使を接受」するというのはただの面会になってしまって、(他国元首による)信任に対して、(行政機関の長である総理大臣または内閣が)アグレマンを行うことになってしまい、外交儀礼上の礼を失することになる。


一応、憲法の挙げる国事行為には「儀式」もある。
内閣法制局がどういう解釈をしてきたのか、僕はあまり詳しくわからないのだが、たぶんこれは宮中儀式とそれに類する行事をさす意図で加えられているのであって、例えば会見・接見であるとか、外国訪問、要人の葬儀参列などは入らないのじゃないかな。


ともかく、接受っていうのはそういうものです。
外国語が出来ないとわからないよね、仕方ないよね、岩手だもんね(笑)

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