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暇なので仕方ないと思うんだ。
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ふらふらします。ラムやばい。
割とまじで。心臓がいたい。

家賃払わなきゃ


感情と時間が僕を動かす。
感情は個人を支え時間は集団の一員を支え。

僕は許さない、ふと気がついたら大人になっていたという感じ方を。
生まれ来る木偶を人間にしておきながら、かつまた自己自身木偶の身分でありながら、自由精神と言語を語る欺瞞を。

大人になるんじゃない、子供でいられなくなるだけなんだ。
「今まで」と「今から」を「今」と呼ぶだけの力を身につけていないから、人間は子供を止めなければならない。人間が生まれてしばらく子供でいられるのは、生得の能力に比して過ごした時間がとても短く容易に処理できるという、ただそれだけのことに過ぎないんだ。いずれ時間が長くなれば人間はスペックが足りなくなって子供を止め、大人になるのだ。

時間的断絶、すなわち時間の停止こそが――しかも、継続的にずっと止まっているという、極めて欺瞞に満ちたこの「今」こそが――基盤をなすのだ。
不滅なり、我らがこの「今」!


永劫に回帰するなら、今が常に訪れる。そこでは、今という言葉に瞬間性を求めるのは無意味だ。
さっきの今がまた訪れ、この後の今がまた来る。つまり今は過去と未来を食い尽くす一本の道、「今」という門の前を駆け抜ける一筋の道。

僕たちは幸いにして「日」と「時」の比喩を使うことが出来る。
明日という「日」を「0時から24時」としか説明できないように、僕というものは「生から死まで」としか説明できない。その時、ただ一つところの通用口がなんだというか――


僕の最初から最後までが今なのだ。そうだからこそ、僕は感情を信仰しない。
感情は個人の行動を保障する巧みなるテクニックに過ぎない。

それは君達が一生懸命に腰を振るのと同じ原理だ。どこまでも人間にとって自己弁護のためでしかないものだ。
性欲には繁栄という価値がある。愛情にも人間という価値があるではないか。

そう、幸いに僕には猿人を凌駕する知性が、そして明らかに君たちのそれをも凌駕するほどのものが、備わっているのだ!
繁殖のために生きる人間を人間は空しく思うものだが、さて、君たちは――
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