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暇なので仕方ないと思うんだ。
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色々思いついていながらも書いていないテーマをちらほらと。


例えば、僕の知っているやつ二人(男(死ねばいい))を考えてみると、一方は早いうちに一人暮らしに取りかかった方がいい。
結婚する前に同棲しやすい環境を持っておいた方が彼のためなので。

もう一方は絶対に実家から離れない方がいい。
充足した人生は歩まないので。まだまだ自分を無視している、そういう雰囲気がなあ。


ふと思ったことなのだけれど、この手法はもう僕が親しい人にやるのは手馴れてきていて、概ね予期したようになるし、ここらでそろそろ直接には親しくない人間に対してもなんとか同じ影響を及ぼしえないかと思い始めた今日この頃なのである。
親しくないままでなのか、他に親しい人間を通してなのかは模索しないと分からないけれども、いずれにしてもこの試みの成果に期待するものは大きい。


で、今日はナウシカを見たんだけど、まあ色々思いつくところがありますね。ラストシーンは確実に一度死んでいて、「降り立つ」のだなあとか。
あと蟲の形と色は人工生物の暗示だったのかと、今まで思いつきもしなかったが、何より何度見ても楽しいから良い。


今日は授業にそれなりに出席。
釈尊の教えはあんまり都合よく解釈するとあれだけれど、まあ今の僕と大体同じような方向性なのかなーと。

しかし、宗教家が何を考えておろうが、信徒にとっては「唯一なる釈尊」であって、どちらかと言うとそういう機能こそが主体であるからには、内容としての宗教思想がどのくらいまで実際のものになり得るかは興味深いところであり、同時に難しい問題でもあるのですが。
仏教的な考えと僕と、「本質的な違い」と「瑣末な違い」を断ずるのは簡単(大声で言うだけ)なのだが、あまり節操のある方法で無いと僕が考えているので、そういうしょうもない自己主張は止しておきますけど。

んー、でもさ、僕だって考えているわけよ。
ある考えからある考えに、感情から感情に、移り変わりを経験したときにどう解釈したらいいのかと。

結論はもう「今この瞬間が正しい」に決まっているので、あとは道をひくだけなのだけれどもな。

テーマは生死だったので、その辺りに絞って考えてみるけれど、自分で組んだとはいえ一つの体系になりつつある思考法を、十全に使い果たすだけのアタマが僕には無いらしく。
たぶん、たぶんだけど、僕が持つべきは「死んだ後の世界」への憧れと軽視なんじゃないかなあ。

これは僕が「生まれる前の世界」に対して抱いているものを単純に持ってきただけなんですけどね。
生前と死後が等価じゃないこと、前から気に入らなかったので。


ナチますか?ナチませんか? ヒトラーのカラー写真、初公開
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51475930.html
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