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暇なので仕方ないと思うんだ。
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僕が寂しい夜を過ごしているからですね。
わかります。

6月12日付 石原知事会見詳報
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/090612/lcl0906121806003-n1.htm

「今日、私から申し上げることはございません。質問を受ける前にね、ちょっとこれ驚いたんだけどね。
この間、アメリカでクライバーンの記念のピアノのコンテストで優勝した辻井さん、全盲の、あの人が帰ってきてね、
どこの記者だこれ、朝日か、質問してるんだな。メディアの諸君って力もってるよな。要するに会社を背負って。
だけどそれは何もそれは諸君がだね、優れた人材であるということの証にはならないんでね、これ、ちょっと無神経というか、
傲岸(ごうがん)というかね、生まれたときから目が見えなかったこの人物にこういうこと聞いてるんだね。
『もし目が見えたら、何が見たいか』。こんなの、設問にならないじゃないの。そしたらね『両親の顔が見たい』とか
彼は答えているわけ。それでまぁ、今はね、『心の目で見て満足しています』と笑みを浮かべたと。これ、失敬千万というかね、
傲岸(ごうがん)というか、無神経というか、これ質問になっていないということを当人は分からないんじゃないかな。
この手のことがずいぶん多いね、このごろね。僕はあの、ある政治家に紹介されて、福島智(さとる)さんっていう、
これは前例がなかったんだけれど、東京のかつての都立大学をはじめて門を開いて、全盲ね、全ろうつまり、子供のころから
だんだん目が見えなくなって、ついに両方の耳目が見えなくなって、18歳の時に完全にその聾唖者(ろうあしゃ)になった。
これはヘレンケラーと同じだけれど、ヘレンケラーは生まれたときからですがね、これはもっと深刻な問題抱えながらね、
非常に優れた人物で都立大学が、点字で授業を受けさせて、その後ですね、金沢大学に教授として赴任していって、
それで戻ってきて東大の先端技術の研究所のコミュニケーション、限られた立場の人たちのためでしょうけど。それでね、
つい最近教授になって、この人物に会ってものすごい私、ショックを受けたんだけども、彼に言わせるとね、やっぱり
健常者というものは、同情はしてくれるけど、本当にその障害を負った、しかも深刻な障害を負った人間というものをなかなか
理解できない。本当のコミュニケーションていうのはなかなかそういう人たちはとりにくいんだということを言ってましたがね、
これなんかいい例だね。第一、新聞記者がね、どんなつもりか知らんけどね、生まれたときから目が見えないと分かっている
人間にだね、目が見えたら何を言うか。ばかな質問じゃないかこれ。おごりだよこれおごり。メディアの。と私は思いました。
非常に憤りを感じますね、これ。当人はこれいい記事書いたつもりでいるかもしれないけどね、そういうところがやっぱりね、
記者としての資質を問われるべき問題だと思いますよ。はい、質問あったらどうぞ」


これに対して、今日日に大流行するであろう文句があって、要旨としては以下の通り。

このような見方は、根本的に障害者を自らの下位に置き哀れむ思想に基づく。
盲か否かの区分を設けること自体が一つの思い込みであって差別である。人間は平等で云々。


76 名無しさん@十周年 2009/06/13(土) 00:34:40 ID:Z3hGAj/T0
 大して失礼でもないと思うがな。
 「異性に生まれたらどう生きたいか」程度でしょ。

 生まれついての全盲なら失うという喪失感が無いし、
 どちらかといえば、目が見えるとはどういう事か、
 という好奇心の方が強いんじゃないのか。

 むしろ、盲人に目についての質問は失礼だ!
 と反応する方が、見えない事を見下しているように感じる。


この論を掲げる人間は、光線を捉えるための目は使えても論理的には盲人である。
何故、人間の関係というものを、ただ諸個人の誠実さのみが議論を支える根底にあるものを、自分の立場を離れて語ろうと言うのか。

僕は目が見えますから。
都知事の発言で本人がどう思うのか、またはこういう人たちが一般にどう思うものであるか、これはわからない。

だけどね。それは違うんですよ。
それは、目の見えない人として目が見える(この場合には耳も聞こえる)僕が相手を考える、その僕自身の有様を放り投げていいというものではないんです。

自分が今いかにあるかということに、ただ誠実であるべきなんだ。
だから僕は、この質問に質問者同様の健常な人間として軽蔑を覚えるということ、これ自体を曖昧で批判的な論理に預け去るようなことは決して納得できない。

論理性は一つのツールに過ぎないんだ、こんなものは。
論理を超えて僕はこの質問に軽蔑を覚える。これ以上の説明は決して要されない。


目が見えたら――
僕が個人として知り合いなら、いつかこう尋ねるであろうことも、否定できないものではある。

けれども僕は、これが極めてプライベートな疑問であること、親密さだけがこれを許すことになるだろうと感じていること、これを勘案して軽蔑に至る。
それは軽々しく公にしてはならない――夢の世界に属するものなのだから。
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