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暇なので仕方ないと思うんだ。
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実にアメリカ的な発想であると思う。
自ら正義を体現しない人は即ち悪である、という思想ですね。

日本人はもっとこう、自ら悪を体現しない人は悪ではない、というような、曖昧で突詰めない論理性を具していると思うのだがなあ。
例えば何かの差別となると、アメリカであれば声高に平等論者であるとアピールしなければ社会的信用を失うけれども、日本の場合は行動面に露骨であれば流石に非難されるという程度に留まっていて、本来他人の心の奥底、つまりホンネには立ち入らないのが美学というか何というかなのである。

お前のあたまのなか見せろや! という感じである。
法的平等を担保することと、非論理的な情緒関係を禁止することとは、やはり隔たりがあるはずで。


正義が常に実現するのは神の国だけ、キリスト教徒にはそれが分からんらしい...
別に僕はセクハラさせろとかそういう話をしているのではないのであって、つまりは自律的な調整作用を持たぬ局所的社会を嘆いているのである。

一方的に不愉快がられるとしたらそれもまた被害としてしかるべきだと思うんだがな。
要は極端に過ぎる、対処が。ハラスメントを強制法によって解決するには強制隔離くらいしか手は無いわけだし、人的関係破却の権利を組織的なある一つの体系が掌握しなければならない。

そのような義務を社会流動性の担保として差し出せというのかね、諸氏は。
お断りである。告知義務を果たしていないハラスメントなど被害として認めることは出来ない。

ハラスメント被害意識の申告に対するハラスメント、これこそ法が裁き得る唯一のものだ。
整備するべき法制度となすべき教育が誤っておるよ、百万光年。

もっともtkdが女子のわき腹つまんだりするのは(ry


まぁね。ほら僕って(ry
なのだし。


おまえらが誕生日プレゼントに栞を買ってくれなかったので、今日自分で買ってきたお( ^ω^)
この恨みは忘れんぞ。

だいたい貸した金のことは忘れないがもらった金のことはすぐ忘れる。
そういうものを観察出来て楽しめる連中であるよ、君たちは。

そういう景色を君たちが自己観察出来るのも出来ないのも、僕にとっては非常な喜ばしき発見である。
いつでもそうやって僕の優越心の肥やしになってくれる...


諸氏、疵物たち。
ついに関わりが閉ざされる日に、本当の意味を知ることもあるだろう。

僕は、僕だけの永遠になるつもりはないのだから。
君たちの永遠を、精々囲い込んでおきたまえ、僕のために。

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