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暇なので仕方ないと思うんだ。
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小森陽一さん
「松江について宿泊施設のロビーに私の読んだことのない『山陰中央新報』という地方紙があったんですね。
島根は保守的な地域ではありますがそれなりの見識を持った新聞社だったようです」

http://members2.jcom.home.ne.jp/hgsk9jk/front005.html

「保守」だけど「それなりの見識」があったので感心しちゃった。てへ。
はいはいわろすわろす(´~`)


感覚の、なんていいますかね、押し付けですか。
そういう風に考えてみると(あくまでテクニカルな意味で)男が女を襲うか男が男を襲うかなんだよね。

まあ技術が進歩してるんだから遠くない未来には女が男を襲う可能性がきっと...

や、真面目な話ですよ。
一方的な関係が性別の間で存在しているのはたぶん間違いないんだから色々考えてみることはよいことだ。


しかし考えてみると、
「今日の日本で、......宗教上の禁止事項に実質的な意味はまったくないが、
禁止や罪となる理由が『聖典に書かれているから』といったものである以上、
これにより聖典の信頼性が問われることはやむを得ないところがある。......
『神』が判断したのではなく、『神』の判断と思い込んだ考え方の異なる複数の人間の
判断である可能性が聖典には常に横たわっている。」
(wikipedia : 同性愛より抜粋)

というような馬鹿らしい信仰告白が同性愛の記述に紛れ込んでしまう程度には、まだまだ解明されていない(=納得できない)話ではあるのでしょうけれどね。
僕のように他人を常に見くびっているようなヒトでなければ言えないことがあるはずだと僕は常々確信しているのだけれど。せめて文筆の才があらばなあ。

で、このウィキの記述を見ていたら、誰かが既に歴史上の「女子同性愛の欠落」に気がついていたようで。
まぁ多分この視点は、性交が「好きだ嫌いだ」の感情に基づくものでは無いという証明くらいにはなるんじゃないかと思うんですが、どうなんですかね。そんな難しいことを必須条件に据える生物が生存出来たはずはないという僕の勘なんですけども。

んー、つまりね、男女の(その発展系として同性愛の)情緒に基づく関係っていうものが、ある意味で「文化」に属する特徴として、あるときから突如として現れたんじゃないかと思うんですよ。
こういうのは僕は興味ないから誰か調べて欲しいなあ。つまりは、「相思相愛」という考え方が、どのようにして何時ごろまでに、繁殖行為としての性交の(からっぽの)意義を上書きしたのかをね。

もしくは既に研究が存在するかもしれないけれど。
いずれにしてもあっちこっちの人間が、視認可能な性交上の特性として「射精」に注目していたであろうことを前提した研究を読みたいものですね。昔の人って(医学的知識が無ければ現代でもそうだが)射精が起これば妊娠は確率の問題であって、駄目なら石女認定してfin.
ですからね。

考えてみれば変な話だと思いません?
それで男が女を掛け持ちして駄目なら「呪いだ」とか「定めだ」とかなるわけですし。


だいたいメスの方が小さいっつーのが特性としてだね...
もう酔ったから僕は寝るけど。
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