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暇なので仕方ないと思うんだ。
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「道を聞かれた外人はたまたまドイツ人だった」的なイベントがありました。

今日は東急でぐもっちゅいーんがありまして、それに巻き込まれて電車ストップ。車内放送モゴモゴ。
そしたら隣にいた留学生(たぶん)が相当高度な日本語能力を駆使して聞いてきたのさ。「これ何いってんの?」というようなことを。

車内放送のお兄さんの日本語は、速すぎてキキトレナーイらしいよ。
いやそんだけ喋れれば十分だろ。と心の中で思うが言わない。やり取り全部が日本語だったから、なんとも言えぬ感心。


で、まー、ぐもっちゅryの処理には1時間かかるのが相場かなあと思ったので、鞄から本を出して読み始めるtkdさん。
もちろん「こんな時にまで勉強するとか素晴らしいな自分大好き」オーラを出したかっただけなんですけど。


そしたらさあ感じるわけよ。
死の気配じゃなくて視線を。見てるわけだ、ガンつけられてるひいいいい

とか思ったら留学生はこう言った。

"are you studying german?"

なんで突然英語使ってんだよwwwwwww国際人すぎワロスwwwww
ついさっきwwwwww日本語使えてたろwwwwwwwwwwww


まあこのヒトが、全く偶然にドイツのヒトだったわけだ。ドイツ人かどうかはしらんが、ともかくドイツ語話者だったということでね。
なんかねー。僕が持っていた「レクラム」という文庫本は、ドイツ語圏で凄まじくメジャーな出版物なのですが、それを見てピンと来たから110番したみたい。

つうか困った時くらい英語で質問すりゃいいのに。あれか、僕が英語が出来ないのが初見でバレry
ならむしろどうして、ドイツ語学習について英語で質問したのかナゾ過ぎる。

嗚呼、日本語の立場如何。


まあ確かに、文庫本のデザインというのはある種の盲点ではあった。
考えてみれば、僕らだって外国のどこかで岩波文庫のデザインを見ればガン飛ばしてしまうに違いない。沖縄ならついでに「ヌー」(【悪態】なんだと、何か用か、どういうことだ)とか言っちゃうに違いない。

つまりやっぱり商業デザインていうのは重大で偉大なんだよ諸君。
CDや単行本ではそうは行くまい。文庫本というものの特殊性が云々してあれこれである。

基本デザイン。イメージ。書物。表紙。文庫本。言葉。記憶。
探せば面白い本がありそうだが読まないので探さない。

と思ったけれどGeniiで検索してみる。
せっかくですが該当なしです。以上解散ごちそう様でした。


以下myloで外出時の眠気覚ましに書いたコラム的なもの。

「テクノロギィ。」


誰もデータ作ってくれないから、自分でニコニコから一年分のタグ検索して楽しんだ。
非常に楽しいですねえ。こうして見ると、「歌ってみた」は投稿者が多くて賑わってはいるんですけれど、むしろやはり視聴者が散ってしまって伸びないみたいね。

一年で「ボカロオリジナルを歌ってみた」タグは32390件。
なんだこれ物量戦か。鬼畜米英か。


人気ボカロ曲出現→歌ってみるやつ続出→合唱にしてみる→fin.

という一つのサイクルは実にはっきりしていて、投稿動画の過半はこれなんじゃねーかとすら感じる。
ていうかね、毎週のボカラン一桁なんか歌う人数が多すぎて、こんなこと言ったらアレだけど、止した方がいい。むしろ聞いてもらえないし評価もやたらシビア。視聴者に愛がない。ゆとりシビア。

僕はどちらかと言うと、再生30000くらいのボカロオリジナルを見てまわって、気に入ったものを歌って欲しいなーとか思います。誰にともなく。
んー、これは必ずしも僕だけではないと思うのだが、ボカロの声をずっと聞いていると頭痛がしてくるんだ。それはほら、ゴールデンアイをずっとやったら酔うみたいに。

いやいや面白いんだがね。
口頭ルールでチョップマン参上! とか、鉛筆銃とか。


その話はまあ次回、中古を入手した時にでもゲッダンすることにして。

ともかく、歌ってみた巡回をする人はおそらくボカロ巡回もしていて、曲名のタグを律儀に踏んでいるものと思われるので、歌ってみたの方も案外聞かれてるみたいです。

誰も聴いてくれなくていい!
という人はネットにアップしたりしないものなので、誰しも多少なり動画を伸ばす意図を持つべきだ。

といって工作は無意味だから別問題だけども。


なんでそんなこと書いてるかというと、つくづくネットは凄まじいなあと思ったのね。別にきっかけなど無いのだが。
強いて言えば「CDが売れない」というニュースのせいかも。

それって色々ギョーカイの人にしてみれば言いたいところだとは思うのよ。
不法ダウンロードのせいだ! とかね。

いやこれ、僕は二重に「ネットのせい」だと思うんだ。


一つには典型的にはyoutubeのように、映像や音声というコンテンツから「メディアコンテンツであることそのもの」の価値性を奪ったこと。
メディアとしての「ネットのせい」。

たとえばほんの少し昔は、映像に触れるにはテレビしか媒体がなかった。だから電波上かビデオテープ上かを問わず、「映像であること」そのものに価値を与えていられた。
それらは対価なしには供給出来なかったし、対価をもってしても求められていたから。

活版印刷が手写しを絶滅したようなもんだな。
これがまず一つ。


次に、ニコニコやらpixiv、あとは「同人」やら多数のフィールドが用意した環境が個別化を可能にしたこと。
ツールも併設された環境としての「ネットのせい」。

共有すべき集団が大きくされて、政治どころか商売の対象になってしまって。そういう流れは紙がやってきた時から常に進展してきたわけですけどね。
それがまた変わるのかもしれない。

いや、もう変わったのかもしれない。

すごく夢想な話かもしれないが、ネット上のコンテンツのうち一つくらいは文化になれると思うんだ。

特に動画。声を出して人間がはしゃぐこと。
民衆の次元で大きな声を出す文化って、ここしばらくの日本では国策文化だった──つまり西洋科学みたいな扱いだったから。もし根付けば素晴らしいなあと思う。


集団化したら最高に愉快だけど、それには随分かかりそうだね。

前に大学の文化祭で、土砂降りのなかでベトナムからの留学生たちが見せた姿。
はしゃいで皆で同じ歌。

あれは憧れる。欲しい。
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