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暇なので仕方ないと思うんだ。
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よくねえよ。あほか。
そうですねぇ。
昨日も、いやあれmixiだったかな、ともかくどっかで書いたと思うんですけど、進路決めの時期だねぇ。

まぁ、僕はね。
困ったら田舎の土地買って農家やればいいよね! とか言ってる人なので、学部だの就職だの正直どうでもいいって感じではあるんですけども。学問的にやりたかったことは霧消したし。

哲学の論敵は自分しか有り得ない云々。
だってほら、ツールを共有している人格は自分しか設定できないじゃない。ゆえに他人との議論で論考することは哲学的に言って無意味なんだよね。実学的には大いに有意義なのだけれども。


その辺が難しいところで、つまり実学という考え方、というのはつまり僕が概念と総括しているものだけれども、そういうものに捕まってしまうと長短見比べる方法でしか世界が見えないヒトになってしまうのでしょうね。

要するに何を何と見るかというのは僕らの決めたことで、それまったく根拠も必然性も無いのだけれど、一時にそう決めてしまったが最後で呪縛され続けるのが人間ということになってまして、そうするとニーチェファンとしては超人の後姿をそういう方向へと求めたくなってしまったりするのであります。切実に。

思うさま概念をつくり、それを直ちに破棄できる者がいたならば、そいつはきっと人間ではないよ。
超人かどうかは知らんが。


だから僕の思うのは、脳死の話は前にちょこっと書いて、こないだPCの掃除をしたときにあっさり消してしまって手元にはもう無いのが面倒だけれど、簡単に言えば「生者と死者を見分けられるのは何故なのかな」と考えてみることは無意味ではないのですよ。
同じ人間だ、それらは。

そうでありながら瞬間の単位にまで解析して峻別するのは侮辱的じゃないのかい。
と言われたときに、何人が死者定義の正当性を述べ立てられるかと。


死んでいる状態と生きている状態は確かにあるように見える。思える。
では死者と生者というものは存在するのかね、君たち。ある瞬間にそれが属性として切り替わるものだということになっている現状を見て、それは何故なのか本当なのかと思わないのかね、君たち。

思わないとすれば随分いい子ちゃんだ。


端的に言えばさ、という項はここからは端折る。
僕の見方を示せばそれが概念になって万物を縛り付ける。別に自惚れでは無く。

ある概念を常用する義務は別に無いということが、僕としてヒントではある。
相互矛盾と非一貫の発見は他人を批判するためのツールであって哲学的価値は無い。実学的には(ry


という訳でお茶漬け食べちゃいました。

えへ。
まーた太っちゃうよもう。

いいんですよ、これは別に。
だってせっかく金払って買ったものを腐らすよりは摂取して、で、後から栄養をやりくりすればいいんです。

まぁおそらく脂肪に変換する時と再度利用時にと、それぞれエネルギー使うのだろうから、その日その日で摂取したほうが効率としてはいいんだろうけれどもね。人間様には仕事というものがあるのだ、あとストレス。
自分と幾人かに許されるならスイーツ(笑)メンヘラ(笑)でタバコ(笑)してたいわ、僕だって。

然るべき地に足つけて生きていけない奴は死ねばいいんだよ。
でもそういうやつだって生きてるんでしょ? じゃ何とかしなさい。

人は皆違う足場を持っているのだからダブスタも仕方が無い。
僕が電車で障害者の大騒ぎを怒鳴りつけたら訴訟ものだけど、子供がうるさかったら「昔なら注意した」とぼやくのが日本だけど、そういう風に基準が複合化して条件節が大量保有されるのも致し方ない。



それを矛盾と呼ぶのなら。
実社会に出ずに学問の世界を生きることをお勧めする。
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無題
>「生者と死者を見分けられるのは何故なのかな」と考えてみることは無意味ではないのですよ。
>同じ人間だ、それらは。

ん、ここよくわかんね。kwsk
so1 2008/05/15(Thu)00:37: 編集
Re:無題
まじめに読んだのか。
どっかに書いておく。
【2008/05/15 23:21】
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