暇なので仕方ないと思うんだ。
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知らなかったぞ、そんな話は。
国語国字問題という項目がWikipediaにあってだな。(PC,mb)
知らなかったなぁ。
>当用漢字とは、1946年(昭和21年)11月16日に内閣から告示された漢字の全廃を目的に漢字を制限するための表に掲載された1850字の漢字
なんだってさ。
>今日見られる「交ぜ書き」 の問題も、同表に端を発する問題である。同表によれば、当用漢字で書けない言葉は言い換えて表現することになっていたが、実際には漢字を仮名で書いただけ で元の言葉が引き続き使われる事がかなり多くあり、漢字と仮名の「交ぜ書き」が多数生ずることとなった。顕著な例としては「改ざん」「破たん」「隠ぺい」 「漏えい」「覚せい剤」などがある
へぇーへぇー。
おっかしいなぁと思っていたんだ、こういう表記。そうかそうか、こんなものまで戦争のせいか...
と言ってもですね、漢字全廃っていう主張自体は昔からあるのです。
それは知っていたけれど、当用漢字がそういう趣旨のもとにあったとは知らなんだ。
(注:現在は常用漢字)
まぁwikiの言うことをいちいち信じるのも癪なので当用漢字表を実際に読んでみると、
使用上の注意事項
イ、この表の・字で書きあらわせないことばは、別のことばにかえるか、または、かな書きにする。
ロ、代名詞・副詞・接続詞・感動詞・助動詞・助詞は、なるべくかな書きにする。
ハ、外國(中華民國を除く)の地名・人名は、かな書きにする。
ただし、「米國」「英米」等の用例は、從來の慣習に從つてもさしつかえない。
ニ、外來語は、かな書きにする。
ホ、動植物の名称は、かな書きにする。
へ、あて字は、かな書きにする。
卜、ふりがなは、原則として使わない。
などなど。言われてみれば確かに、表音主義的な文面ですね。
僕としては、漢字と関係の深いカテゴリが多過ぎる訳ですから漢字廃止には賛成できないかなぁ。
パソコンの普及によって、少なくとも記述面での不便と不公平は理論上なくなっていますからね。
不便でないというのはつまり、字体が自然、統一されて便利だねってこと。変換の手間が無い訳では無く。
読めないと書けないのは相変わらずですけども、そればっかりはねぇ。
日本人が日本人を理解するためには漢字は、欠かせないとは言わないまでも便利には違いない。
シェークスピアをラテン語で読む馬鹿がありますか。
結局のところ漢字圏に生まれたのが運の尽きだと考えております。
人間なんて、結局その程度の次元を彷徨うのだよ。
いいじゃない、それで。
超えらるべき存在に甘んじるのもまた、ニーチェのファンとしては大丈夫だろう。
最近はまた文章と格闘を繰り広げていたりする。
パソコンの小さい画面の上で、静かに静かに。
知らなかったなぁ。
>当用漢字とは、1946年(昭和21年)11月16日に内閣から告示された漢字の全廃を目的に漢字を制限するための表に掲載された1850字の漢字
なんだってさ。
>今日見られる「交ぜ書き」 の問題も、同表に端を発する問題である。同表によれば、当用漢字で書けない言葉は言い換えて表現することになっていたが、実際には漢字を仮名で書いただけ で元の言葉が引き続き使われる事がかなり多くあり、漢字と仮名の「交ぜ書き」が多数生ずることとなった。顕著な例としては「改ざん」「破たん」「隠ぺい」 「漏えい」「覚せい剤」などがある
へぇーへぇー。
おっかしいなぁと思っていたんだ、こういう表記。そうかそうか、こんなものまで戦争のせいか...
と言ってもですね、漢字全廃っていう主張自体は昔からあるのです。
それは知っていたけれど、当用漢字がそういう趣旨のもとにあったとは知らなんだ。
(注:現在は常用漢字)
まぁwikiの言うことをいちいち信じるのも癪なので当用漢字表を実際に読んでみると、
使用上の注意事項
イ、この表の・字で書きあらわせないことばは、別のことばにかえるか、または、かな書きにする。
ロ、代名詞・副詞・接続詞・感動詞・助動詞・助詞は、なるべくかな書きにする。
ハ、外國(中華民國を除く)の地名・人名は、かな書きにする。
ただし、「米國」「英米」等の用例は、從來の慣習に從つてもさしつかえない。
ニ、外來語は、かな書きにする。
ホ、動植物の名称は、かな書きにする。
へ、あて字は、かな書きにする。
卜、ふりがなは、原則として使わない。
などなど。言われてみれば確かに、表音主義的な文面ですね。
僕としては、漢字と関係の深いカテゴリが多過ぎる訳ですから漢字廃止には賛成できないかなぁ。
パソコンの普及によって、少なくとも記述面での不便と不公平は理論上なくなっていますからね。
不便でないというのはつまり、字体が自然、統一されて便利だねってこと。変換の手間が無い訳では無く。
読めないと書けないのは相変わらずですけども、そればっかりはねぇ。
日本人が日本人を理解するためには漢字は、欠かせないとは言わないまでも便利には違いない。
シェークスピアをラテン語で読む馬鹿がありますか。
結局のところ漢字圏に生まれたのが運の尽きだと考えております。
人間なんて、結局その程度の次元を彷徨うのだよ。
いいじゃない、それで。
超えらるべき存在に甘んじるのもまた、ニーチェのファンとしては大丈夫だろう。
最近はまた文章と格闘を繰り広げていたりする。
パソコンの小さい画面の上で、静かに静かに。
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Comment
ふむ、ふむふむ
ニーチェねぇ。読むべきなのかねぇ。
前にちょっと読んだ時に、なんか読む節ごとに共感がありすぎて読む意義ないんじゃねって話になった。(僕の中で
まぁ本は読んでも読まなくても問題があるという話もあるしね。
前にちょっと読んだ時に、なんか読む節ごとに共感がありすぎて読む意義ないんじゃねって話になった。(僕の中で
まぁ本は読んでも読まなくても問題があるという話もあるしね。
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