暇なので仕方ないと思うんだ。
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もうこの段階で、現地時間と日本時間を整合して記事を書くのは諦めた。
いけませんね。
そして考えてみると腕時計の調整とかどうすんだって話。
していかなくてもいいんだけれど。どうせ盗られるだけだし。
と言いつつ出国の段階で金属探知に引っかかる僕が見える。
必ず鳴る仕組みなのか、これ? とか思う。
大抵引っ掛かりますよね、みんな。あり得ない量の小銭が全身に分散してた、とかよくある話。
さてさて。
もう区別すんの面倒なので当地の話にすり替えると、29日はフランクフルト泊。
1日はフランクフルトからヴュルツブルグ、ローテンブルクへとふらふらバス移動。
移動時間が長いということは考え事か読書をせよということだ。
よって僕の手荷物にはリルケが入っているのだ。
iPodがあってもいいかなと思ったけれど、まぁ信玄いじってりゃ20時間は楽しめると思うのでやめておいた。
あれ、そしたらリルケ要らなくね?www
なんか話が持たないので。
今日のニコ動。(まだやるんか、的な意味で
しょぼんかわいいよしょぼん。
バンプ好きだ。っていうか前も書いたけど思考過程が僕と近すぎてわろた。
概念ってさ、抽象化することじゃないですか。
何でも概念化できるのが人間の生得的なものだと思うんだよね、僕は。
うわっやべえライオンが来た!
っていうのは人間にとっては1つの概念に対応するんだけれど、たぶんシマウマにとっては訳も分からず勝手に足が動くんだと思うんだ。
つまり生得の行動だと思うんだ。
機械で言うと基板組んでラジコン走らせてるようなもので、拡張性がないんだ、これ。
ハイ電波来たから右曲がるよー^^
っていうことは最初からそういう作りなのであって、後から変えたりできない。新製品を作る必要がある。
そこんとこ人間は、ハードディスクの上でソフトを走らせることが出来るんだよね。
ハードの進化があって初めてプログラミングは可能になるんだけど、結果として全然別物と言っていい汎用性が出てくると思うんだな。試しに洗濯機とパソコンを比べて御覧なさいな。
つまり人間は遺伝子の進化を必要としない生得の物が何かあるんだよね。
それつまり概念ですよあなた。概念という方法を僕らは持ってる。
人間以前の「方法の獲得の方法」っていうのは進化しかなかった。
つまり変異を待つしかなかった。そしてその遺伝子が支配的になるまで待つしかなかった。
ところが人間は概念を生み出せる。しかもそれを伝達する方法として言葉を持っている。
予想するに、多分正確には、概念を量産する時に合わせて鳴き声を量産したんだろうけれど。あれ、あいつが今まで聞いたことのない鳴き声で叫んでる、いったい何だろう、ちょっと見てこよう、と。
しかも、新たな概念を生み出すことには必然性が求められない。
葉緑体があるのは必然的な前提があってのことだが、アニミズムには必然性がない。あるのは「必然だと思われていた」という事実だけ。
もっとも、葉緑体が生まれる環境に対してのみ必然の問題が起こるのであって、葉緑体が生まれたことは必然では無いのですよ。
そういう発想を僕は好むね。
概念のお話。
大体書きたいことは書いた、かなぁ。
方法という概念と、概念という概念と、概念という方法と、その辺の錯綜加減が納得できない人が出てきたら大成功だと思うんだけれど、はたして。
方法という方法はトートロジーだから触ってない。
それは方法という概念で説明すべき問題だ。
こういうことを書いて後から考えなおして、トートロジーじゃなかったりした時の驚きやら喜びやら、そういうものは説明しがたい訳ですけれど。
まぁ言葉遊びも、未だ廃れぬ、1つの方法ですから。その話はまた別に記事を書く。たぶん。
コギトエルゴなんとかのおじさんが、概念の再構築を促すのはわかる。
でも結局促すだけじゃ理論は前に進まない。促されなきゃ進まない。その辺が面白い。
そして考えてみると腕時計の調整とかどうすんだって話。
していかなくてもいいんだけれど。
必ず鳴る仕組みなのか、これ? とか思う。
大抵引っ掛かりますよね、みんな。あり得ない量の小銭が全身に分散してた、とかよくある話。
さてさて。
もう区別すんの面倒なので当地の話にすり替えると、29日はフランクフルト泊。
1日はフランクフルトからヴュルツブルグ、ローテンブルクへとふらふらバス移動。
移動時間が長いということは考え事か読書をせよということだ。
よって僕の手荷物にはリルケが入っているのだ。
iPodがあってもいいかなと思ったけれど、まぁ信玄いじってりゃ20時間は楽しめると思うのでやめておいた。
あれ、そしたらリルケ要らなくね?www
なんか話が持たないので。
今日のニコ動。(まだやるんか、的な意味で
しょぼんかわいいよしょぼん。
バンプ好きだ。っていうか前も書いたけど思考過程が僕と近すぎてわろた。
概念ってさ、抽象化することじゃないですか。
何でも概念化できるのが人間の生得的なものだと思うんだよね、僕は。
うわっやべえライオンが来た!
っていうのは人間にとっては1つの概念に対応するんだけれど、たぶんシマウマにとっては訳も分からず勝手に足が動くんだと思うんだ。
つまり生得の行動だと思うんだ。
機械で言うと基板組んでラジコン走らせてるようなもので、拡張性がないんだ、これ。
ハイ電波来たから右曲がるよー^^
っていうことは最初からそういう作りなのであって、後から変えたりできない。新製品を作る必要がある。
そこんとこ人間は、ハードディスクの上でソフトを走らせることが出来るんだよね。
ハードの進化があって初めてプログラミングは可能になるんだけど、結果として全然別物と言っていい汎用性が出てくると思うんだな。試しに洗濯機とパソコンを比べて御覧なさいな。
つまり人間は遺伝子の進化を必要としない生得の物が何かあるんだよね。
それつまり概念ですよあなた。概念という方法を僕らは持ってる。
人間以前の「方法の獲得の方法」っていうのは進化しかなかった。
つまり変異を待つしかなかった。そしてその遺伝子が支配的になるまで待つしかなかった。
ところが人間は概念を生み出せる。しかもそれを伝達する方法として言葉を持っている。
予想するに、多分正確には、概念を量産する時に合わせて鳴き声を量産したんだろうけれど。あれ、あいつが今まで聞いたことのない鳴き声で叫んでる、いったい何だろう、ちょっと見てこよう、と。
しかも、新たな概念を生み出すことには必然性が求められない。
葉緑体があるのは必然的な前提があってのことだが、アニミズムには必然性がない。あるのは「必然だと思われていた」という事実だけ。
もっとも、葉緑体が生まれる環境に対してのみ必然の問題が起こるのであって、葉緑体が生まれたことは必然では無いのですよ。
そういう発想を僕は好むね。
概念のお話。
大体書きたいことは書いた、かなぁ。
方法という概念と、概念という概念と、概念という方法と、その辺の錯綜加減が納得できない人が出てきたら大成功だと思うんだけれど、はたして。
方法という方法はトートロジーだから触ってない。
それは方法という概念で説明すべき問題だ。
こういうことを書いて後から考えなおして、トートロジーじゃなかったりした時の驚きやら喜びやら、そういうものは説明しがたい訳ですけれど。
まぁ言葉遊びも、未だ廃れぬ、1つの方法ですから。その話はまた別に記事を書く。たぶん。
コギトエルゴなんとかのおじさんが、概念の再構築を促すのはわかる。
でも結局促すだけじゃ理論は前に進まない。促されなきゃ進まない。その辺が面白い。
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