暇なので仕方ないと思うんだ。
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wubiだろうがecolinuxだろうが。
動作しねえ\(^o^)/
何故なんだ。
一番惜しい(?)のはwubi+ubuntu 7.10で、起動後のインストールチェック云々、みたいなとこでブラックアウトな画面に。
他は全然駄目。
ecolinuxでロゴが出ないのは仕様ですか?
そうでないとしたらグラフィック... いや別にそれだけじゃ起動しないということは無いと思うんだがなー。
まだubuntuのaltなあいつを試してないので挑戦は継続するが、どうかねぇ。
そしてまたしてもタッチスクリーンのx座標が死んだ。
これはもうそのうち直るんだろうと経験論的に判断して放置。
関係あるのかな、これ。
だとしたら画面取り外してインスコ、ってのは流石に無理だわ。
で、何がいかんのだろうね。
もうどうしても無理ならLinux板にいって神の叡智に縋ろうかしら。幸いにして純正品はメーカーのスペックノートで説明が終わるから質問する時は比較的気楽でいい、が。
debianとかもあるが、あれはリリースが亀過ぎる。
もうやけっぱちでkubuntuとかecolinux lightとか総当たりしてみようかなぁ。無理だろうけど。
そんな工人舎SA1F00HAである。
ここまで読み飛ばした人が勝ち組。
来学期の時間割まだ何にも考えてねーぞー。
僕は(ほかの人より)はるかに多く履修せねばならないというのに。
明日からささっと取り掛かることにします。ちょっとこの月末は1500円で4時間拘束(移動で8割)とか大変な事態が色々と待ち構えているようなので。
さっきmixiで萌単が人集めしてたよと内輪向けアナウンス。
で、そういえばだが、入学諸手続きの会場には誰が出るんだい。
あの手続きにおける左翼勢力の悪辣さときたら本当にうわっなにをするやめr(ry
--now rebooting...--
さてさて。
それで僕が気にしているのは、既に然るべく誰かがどこかで決めているであろう「実際に誰が行くか」ということよりも、そういう物が決まる時にソトの人間というのは徹頭徹尾関与しないで終わるものなのだなぁという、何というかちょっとしたことで呆気にとられるような、そんなことだったりするのです。
要するに真理が2つあって相反する状況というものを処理できない哲学は論考ツールに致命傷を負っていると何故誰も気づかずに3000年も持ちこたえたかということなのだ。
主語が長い。ドイツ語の影響ということで片づけておく。
哲学史家は阿呆だ。
ヒント大杉わろた位は言って見せろ。
さて。この記事作成の背後で行っていたisoイメージのダウンロードが終わったようです。
今日はもう寝るけどもな。明日からは時間割考える横でリブートしまくると思う。
何故なんだ。
一番惜しい(?)のはwubi+ubuntu 7.10で、起動後のインストールチェック云々、みたいなとこでブラックアウトな画面に。
他は全然駄目。
ecolinuxでロゴが出ないのは仕様ですか?
そうでないとしたらグラフィック... いや別にそれだけじゃ起動しないということは無いと思うんだがなー。
まだubuntuのaltなあいつを試してないので挑戦は継続するが、どうかねぇ。
そしてまたしてもタッチスクリーンのx座標が死んだ。
これはもうそのうち直るんだろうと経験論的に判断して放置。
関係あるのかな、これ。
だとしたら画面取り外してインスコ、ってのは流石に無理だわ。
で、何がいかんのだろうね。
もうどうしても無理ならLinux板にいって神の叡智に縋ろうかしら。幸いにして純正品はメーカーのスペックノートで説明が終わるから質問する時は比較的気楽でいい、が。
debianとかもあるが、あれはリリースが亀過ぎる。
もうやけっぱちでkubuntuとかecolinux lightとか総当たりしてみようかなぁ。無理だろうけど。
そんな工人舎SA1F00HAである。
ここまで読み飛ばした人が勝ち組。
来学期の時間割まだ何にも考えてねーぞー。
僕は(ほかの人より)はるかに多く履修せねばならないというのに。
明日からささっと取り掛かることにします。ちょっとこの月末は1500円で4時間拘束(移動で8割)とか大変な事態が色々と待ち構えているようなので。
さっきmixiで萌単が人集めしてたよと内輪向けアナウンス。
で、そういえばだが、入学諸手続きの会場には誰が出るんだい。
あの手続きにおける左翼勢力の悪辣さときたら本当にうわっなにをするやめr(ry
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さてさて。
それで僕が気にしているのは、既に然るべく誰かがどこかで決めているであろう「実際に誰が行くか」ということよりも、そういう物が決まる時にソトの人間というのは徹頭徹尾関与しないで終わるものなのだなぁという、何というかちょっとしたことで呆気にとられるような、そんなことだったりするのです。
要するに真理が2つあって相反する状況というものを処理できない哲学は論考ツールに致命傷を負っていると何故誰も気づかずに3000年も持ちこたえたかということなのだ。
主語が長い。ドイツ語の影響ということで片づけておく。
哲学史家は阿呆だ。
ヒント大杉わろた位は言って見せろ。
さて。この記事作成の背後で行っていたisoイメージのダウンロードが終わったようです。
今日はもう寝るけどもな。明日からは時間割考える横でリブートしまくると思う。
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